先人の知恵の結晶“泉佐野市中庄のだんじり祭り”

 

 

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祭礼は、先人の知恵の結晶


東北地方は、震災に会って、祭りどころでないと誰もが言います。

でも昔の人も忙しい中で祭りをやっていました。それはナゼなのか!

祭りを行うことにより、日常と非日常とを区分し、祭りという非日常から日常に
戻って行きました。


震災のハードが信玄堤であり、震災のソフトが祭りだと言われています。

集落の皆が集い、祭りを行なう様に、自然災害に遭えば、皆で其々の役割を分担し、

力を合わせて震災とかの”非常時”の事に当たりましょう。

そうしたことが祭りの仕組みの中に組込まれています。


だから祭りが廃れるとき、震災復興の絆が廃れると言われています。

祭礼は、親から子へ子から孫へと引き継がれる民俗の文化遺産だけでなく、

震災などの非常時に備え、地域住民の連帯と協働の有り方を今に伝えています。

たかが祭りですが、されど祭りです。優先順位は低くても先人の知恵の結晶が
祭礼なのです。


信玄堤


防災を目指し、長い年月と莫大な費用を掛けて築いた防朝堤が、東日本大震災の
凄まじい
地震と大津波により破られた。

この事実を踏まえ自然災害を防災するとの考え方から信玄
堤の様に自然災害を
減災してきた先人に学ぼうとの考え方が、今、見直され始めております。

先人の知恵の結集である減災にハードとソフトがあります。
減災のハード面は、信玄堤であったり、災害時の拠点となる鎮守の杜で
あったりします。

減災のソフト面は、古来より行われている“祭礼”です。

地域の皆が一致団結して五穀豊穣や大漁を祈願し、祭礼を執り行う。
このことは、災害時に地域の皆が一致団結しそれぞれの役割を担い、
取り組む事を教えています。
だから祭礼が廃れるときに減災のソフト面が廃れると言われております。


今、鎮守の森が懐かしい。子どものころ、境内で野球をしたり、鎮守の森で
かくれんぼや鬼ごっこしたりでよく遊びに行った。
家の近くに小さな鎮守の森があり、深閑とした風景の中、ひたすら鳴き続ける
セミの声が今も耳に響きます。

そして祭礼の日、地車を曳きながら神社の境内を駆けた、
熱気と喧騒が今も心に甦ります。






越し方の来歴

今日は秋祭り

夜空に名残太鼓が響く

だんじり祭りの蝉

受け継がれる伝承文化

安全委員のスパイラル

祭礼日の変遷

歴史の証人達

友垣との友情は風化しない

地域の絆、お地蔵さん

だんじりと壊れ窓

ビジョンを持つ



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