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粉河の児玉姓
祖母の名字が児玉と云うこともあり、粉川の児玉姓に関心を持ち児玉姓を調べると、
紀の川市粉川町に児玉姓の方が多くおり、200人おります。
そして、児玉姓の由来を調べると、大伴氏の末裔が改姓して児玉姓を名乗ったと古文書に記載されております。
粉川寺の創建は宝亀元年(770年)、大伴孔子古(おおとものくじこ)によるとされる。
紀の川市中山にある須佐神社の裏手には大伴氏の屋敷跡が在ります。
大和朝廷と云う壮大な歴史ロマンに登場する、有力な豪族である蘇我氏や物部氏、大伴氏ですが、
遥かな時空を経て、祖母が大伴氏の末裔である児玉姓であることに驚くと伴に、
歴史上の大伴氏を身近に感じます。
![](kokawadera_pic_teien.jpg)
粉河寺の庭園
粉河の児玉家
大庄屋である児玉藤四郎の娘であった祖母の児玉ハルは、成人すると見目麗しく
粉河村、長田村、名手村、王子村の4村を合わせた中で一番の容姿と呼称され、
その容姿はあまりにも美しく”四カ一”と言われたと、父から何度も聞かされました。
祖母の実家が粉河の何処に所在するのかは知りませんでした。
私のおちょぼ口は、父の春松似で祖母のハルさんがおちょぼ口だったと父から聴いております。
そんなこともあり、祖母のハルさんと児玉家に親近感を抱く様になったと思います。
児玉家の邸宅が“きのくに風景賛歌”のわかやまワクワク探検隊で紹介されており、
ネットで偶然に出会いました。
児玉家は、旧「粉河街道」の向こう、長大な長屋門のある家で、私の祖母である児玉ハルの実家です。
ハルは児玉藤四郎の娘で、ハルは母と一緒に坂口亀吉に嫁ぎ、私の父である坂口春松の母となりました。
父の春松は、産後の肥立が悪く他界したハルに代わりハルの母(父の祖母)に育てられました。
曽祖母の実家も児玉家と同様の大庄屋だったので、曽祖母は、坂口亀吉の稼業の為に営業し、
親戚縁者から庄屋屋敷の建築を受注しました。大亀の稼業は潤い繁盛し、粉河の近隣地域から広く、
泉州辺りからも弟子を集めました。
児玉家
須佐神社
和歌山県紀の川市中山253
![](susajinjyatorii.png)
鳥居
![](susajinjyahonden.png)
本殿
須佐神社の由緒
粉河寺の西500mの丘陵麓に鎮座。背後の丘には大伴氏の屋敷跡があり、
粉河寺ともども大伴氏に縁の神社のようだ。
創建年代は不詳であるが、古神体裏面に長禄年間の造営記録があり、
15世紀半ば以前には遡る。 なお、粉河寺は宝亀元年(770)大伴孔子古によって創建とあるが
確かに大和朝廷の頃、大伴氏の枝族が名草郡、那賀郡に分布していた。
![](susajinjyahisinhi.png)
社日神碑
お姿
正面の道が狭く、石段が急。 緑につつまれた中にのどかに鎮座している。社日神の石碑があり、
紀の国では珍しいと思う。
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風景
須佐神社の資料は、和歌山県神社誌より引用しました。
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