古戦場 太田城址 ”夢追い人”

 

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古戦場 太田城址 

知人である畠中さんのコテコテの趣味が、全国の寺社や城・城址巡りです。

先日、JR阪和線の和歌山駅近くの太田城址に行って来ましたとのことです。

ここ数年の日曜祭日は、全国の寺社や城・城址巡りに費やしているらしい。


太田城址は、郷里から距離的に近いということもあり、興味を持ちました。

太田城址の近くに”出水”と云う、水に因んだ地名があり、水攻めを今に伝える
地名かも知れ
ません。

和歌山市大田にあった太田城は、平城であるが当時の城としては強固な
城造りであったと思われている。

太田城の戦いは備中高松城、武蔵忍城ととも日本三大水攻めのひとつに数えられる。


現在、太田城址周辺は開発によって住宅地となっていることもあり、
その全貌を明らかにすることは困難な状況になっている。

大田城が全国的に名を馳せたのは、天正十三年(1585)三月、
天下統一をめざす羽柴秀吉が10万の大軍を
率いて自ら軍を進めた太田城水攻めである。


紀の川の水をせき止め、城から300m離れた周囲に堤防を築いた。
堤防の高さは3-5m、幅30mで東の方は
開け、6kmにも及んだと言われている。

太田城では、水攻め1ヵ月になる籠城に次第に物心両面で衰えが見え始め、
同年4月24日蜂須賀正勝、
前野長康の説得に応じて、
太田左近をはじめ53名が自害した。根来寺落城から1ヵ月の事であった。


数々の歴史がある太田城であるが、城郭に関してJR阪和線の和歌山駅から
徒歩7分という位置にあり、都市化が急速にすすみ今はみる影もない。




太田城址の石碑



太田城水攻堤の推定位置




太田城水攻堤の推定位置




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